第13回新聞配達に関するはがきエッセーコンテスト


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中学生・高校生部門


中学生・高校生部門

優秀作  『影で働く人』
 中田 美咲(16歳) 大阪府枚方市

 私の母は十年以上新聞配達の経験がある。
 私が幼稚園に通っていたころのある夜、ふと気付くと隣りで寝ていたはずの母がいなかった。少し不安に思って周りを見渡すと雪が降っていた。外はまだ暗く、うっすらと雪が積もっていて道路には足跡がまだ残っていたのを覚えている。玄関の方で音が聞こえ、私は怒られると思って寝たふりをした。しばらくして母が私のふとんにもぐり込んで来た。体はとても冷たくて母は私にピッタリとくっついていた。私はそれから、母がふとんに入って来る時の冷たさが好きになった。
 新聞配達という仕事がどんなに大変なのか分からない人はたくさんいると思う。だけど私は知っている。雨が降っても、台風が来ても、配達員の人に休みがないことを。皆が寝ている間に新聞は当たり前のようにポストに入っているけど、影で働き続けている人がいるということを忘れずにいようと思う。



審査員特別賞  『母の悪いくせ』
 鎮籏 大哉(12歳) 名古屋市千種区

 「また拾って来たの?」
 あきれる僕達に、母は「だって放っとけないじゃない」とケロッとしている。
 早朝新聞配達をしている母は、いろいろ拾って来るのだ。今までも、カブト虫、ハト、ヒヨドリ、カニを連れて帰ってきた。そして今回は、鳥の卵。いったい何の鳥なのかもわからないが、マンションの通路にコロリとあったそうだ。
 あきれながらも、僕はその日から親鳥の代わりに、タオルとカイロと百円ショップのカゴで、卵を温めはじめた。一時間おきに卵の上下を反転させなければいけないので、昼間は妹が小学校で面倒をみてくれることもあった。夜は目覚ましをセットするが、結局起きるのは母。寝不足だと文句を言うが、拾ってきた張本人なのだから…。
 ふ化することはないかもしれない。でもそんな小さな命を、きちんと大切にする母を、ちょっといいなと思う。朝早い仕事で大変だと思いながら、僕は、次に何を拾って来るのかを、実は楽しみにしているのだ。



入選作  『私を成長させたこと』
 加藤 美樹(13歳) 山口県大島郡周防大島町

 私は今年の四月から新聞配達を始めた。今まで配っていた先輩が中学校を卒業し、新聞配達を辞めたからだ。先輩からすすめられた時、正直迷った。土、日はいつも九時ごろまで寝ている。雨の日の配達はつらそうだ。だが、思い切って始めることにした。これをきっかけに、自分を変えることができそうな気がしたからだ。
 驚いた。早起きが苦手だったのに、人に迷惑をかけてはいけないと思うと、ちゃんと起きることができた。急な坂道も、時間がない時は走って上がった。いつもあいさつしてくれる人の笑顔を思うと、今まで嫌だったはずのことが簡単にできてしまうのだ。
 新聞配達をとおして、私は少し成長することができたと思う。そして、大切なことを学んだ。できないと思って逃げるのではなく、まずは挑戦することが大切だということだ。
 これからも、自分を伸ばすためにいろいろなことに挑戦していこうと思う。

入選作  『彼と老人』
 梨子 遵(15歳) 岩手県九戸郡洋野町

 私の中学校の友達に、中二の時からずっと新聞配達をしている人がいる。今日はその彼のことについて書こうと思う。
 まず、私たちと同じくらいの歳で新聞配達をしている人には様々な理由があると思う。彼の場合は「遊ぶ金欲しさ」だった。しかし、そんな彼の考えも、次第に変わっていった。
 彼の配達している地域は高齢者が極端に多い地域であった。その中に、早くに夫を亡くした老人がいた。ひねくれ者で誰にも相手にされずいつも一人でいる老人だった。彼はその老人にあいさつをした。しかし、老人は無視。それでも彼は毎日あいさつを続けた。ある日、いつもどおり彼があいさつをした。すると老人は「おはよう。毎日ご苦労様」と言った。彼はおどろいた。それ以来、彼は老人の唯一の話し相手となった。そして、彼は自分がその老人の生活の一部になっていることに気付いた。
 今、彼は福祉関係の仕事を志している。新聞配達は彼の将来を決める経験となった。

入選作  『 I の将来の夢』
 竹内 咲(15歳) 福井県敦賀市

 私が小学生だったころ、同じクラスに新聞販売店の息子Iがいた。I はおちゃらけたやつだったが、将来の夢は「店を継ぐこと」だと言ったり、配達の手伝いもしているようで、意外としっかり者だった。
 ある時、I の家の新聞に、日替わりで私のクラス全員の作文が載ることになった。テーマは「私の宝物」だっただろうか。家族にそれを話したら、「じゃあ、咲のが載る日は、その新聞買ってこなあかんね」と言われたのを覚えている。当時私の家は、クラスで唯一新聞を取っていない家だったのだ。
 でもその必要はなかった。I が、違う新聞を取っている子などには、毎日自分の家の新聞を持ってきてくれたのだった。もちろん私にも、「今日おまえの載る日やろ」と言って、渡してくれた。私には、I がもう立派に配達員になっているように思えた。
 あれから四年になる。I はまだ、店を継ぐ夢を持ちつづけているだろうか。

入選作  『新聞販売所の仕事』
 石場 詩歩子(14歳) 鹿児島県南さつま市

 私の両親は新聞販売所を営んでいます。とても小さな販売所ですが、歴史のある販売所です。たいていの人は、新聞販売所を営んでいる=毎朝、各家庭に新聞を配るというイメージを持っていると思います。しかし実際は、毎日多くて十数件のチラシを入れたり、月末はずっと集金しに各家庭をまわったり、月一で会合に出席したり、雨の日は新聞を袋づめしたりと、忙しい仕事です。
 そして、新聞販売所を営むということで一番大変なのは、人付き合いです。新聞は町のほとんどの人に読まれ、毎日配るものだから読者との信頼がとても大切です。ですから、両親はどんなに苦手な読者とでも末永く付き合って信頼を築いていかなければなりません。両親は販売所をし始めたころ、よくそのことで悩んでいました。しかし、今は、ニコニコして仕事をしています。毎日たくさんの方から元気をもらっているのだそうです。新聞を配ることって実は、元気をもらう仕事なのだと思いました。

入選作  『心からご苦労様』
 高橋 翔大(13歳) 横浜市中区

 私の母は新聞配達をしている。母が仕事を始めた当時、私は小学校一年生で新聞配達がどんなに大変な仕事かも知らずにただ母に「お仕事がんばってね」と言っていたのだった。
 そして四年生の夏、夏休みの宿題でお金の大切さについて作文を書くことになり、お金や仕事のことを考えていくうちに母のしている新聞配達を手伝ってみる気になった。三時半起床。母に言われその時間に起きようと努力したが眠くて起き上がるどころじゃなかった。やっとの思いで起き外へ出ると、まだ少し薄暗くあかりのついている家も少なかった。そして新聞を重そうにかつぐ母―。かわいそうに思えた。それと同時に驚いたことは、私がハァハァ言いながら上る階段を運動が苦手な母がすごい勢いで上っていった。でもそれはもう慣れているせいなのか? と感じた。しばらくすると朝日が昇る。きれいだった。その朝日を見て母と顔を見合わせて笑った。新聞配達をしてみて母を敬う気持ちになった。そして新聞配達をしているすべての人に「ご苦労様」と心から言いたい。

入選作  『新聞の特殊指定をなくさないで』
 高木 雅人(14歳) 広島県福山市

 独占禁止法による新聞の特殊指定。これは、どんな地域でも配達する新聞の値段は同じにするという法です。この法は、とても意味のある法であると思います。
 僕の兄は、新聞配達のバイトをしていましたが、住んでいる地域がとても山がちな地形なので、たった数軒配るのでも、二時間くらいは優にかかっていました。十軒配るのに、たった五分で済むところでも、同じ軒数配るのに二時間も三時間もかかるところでも、新聞はみんな同じ値段で配られています。
 しかし、この特殊指定は、見直しがされそうにあります。そうなれば、配達の費用も上乗せされて、僕の住んでいる地域の新聞の値段は、絶対に高くなり、新聞を買う人は減ると思います。確かに今はテレビなど、情報はあらゆるところから入ってきます。しかし、新聞ならではの良さというものもあります。その良さを、これからも大事にしていくためにも、この法はなくなってほしくないと思います。

入選作  『新聞の妖精』
 橋本 理恵子(18歳) 静岡県富士宮市

 私が小学校一、二年生のころ。毎日同じぐらいの時間に家のポストに入っている新聞が不思議に見えたことがあった。ある日、母に、「いつも誰がポストに新聞入れてるの?」と聞いたことがあった。私の質問に対して母は「新聞の妖精さんがいて、毎日、魔法を使ってね、新聞を持ってきてくれるんだよ」と答えた。今思えば恥ずかしいことだが、その時は母の話をすっかり信じていた。だからあんなに朝早くても新聞が届いているんだと。けれど、成長するうちに母の話はうそだったと自然に気がついていた。学校から帰ってきたある日。ちょうど新聞配達員のおじさんが私の家の前に来ているのを見た。母のうそ話を思い出しながら、手際よく作業するおじさんを眺めていた。私に気づいたおじさんは少し笑って「おかえり」と一言声をかけてくれた。
 今でも新聞配達員を見ると、新聞の妖精の話や、思ったより優しかった「おかえり」のおじさんの声を思い出す。




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