第13回新聞配達に関するはがきエッセーコンテスト


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大学生・社会人部門


大学生・社会人部門

優秀作  『青年の気持ち』
 佐川 裕明(40歳) 埼玉県北本市

 子どものころからひ弱で、遅刻も多く、何事も長続きしなかった私が新聞奨学生をすると言ったとき、先生や友人たちは「おまえには無理だよ」と忠告してくれた。しかし五年間の新聞配達を通して、心身ともに鍛えられた。
 社会に出て十八年になるが、早起きの習慣はついたままで、毎朝四時半に起き、五時には家を出る生活が続いている。新聞配達のバイクがまだ何台も走っている時間だ。
 ある朝、家を出ていく時、ちょうどバイクが止まった。私を見ると驚き、少し気まずそうな表情で「すみません」と青年はわびた。
 私もかつて配達が遅れると読者にしかられた。ふつう朝刊は、読者が起きる前に、出勤する前に届けるもの、という意識があった。だから青年がわびてくれた気持ちがよくわかる。
 また会ったら、「俺が早すぎるだけだから」とひと言伝えるつもりでいたが、あれ以来、家を出る時に新聞が届いていないことは一度もなく、会えないままだ。



審査員特別賞  『本当に来てくれたサンタクロース』
 湯沢 功(71歳) 横浜市青葉区

 それは四十年も昔のこと。クリスマスの朝、玄関先に飛び出していった四歳になったばかりの息子が大きな歓声をあげていた。
 「おねがいされたキングサイズのモデルカーセットはとてもむりだけれど、これでがまんしてね。サンタクロースより」と書かれた手紙を添えて、ミニカーのセットがわが家の新聞受に入れられていたのだ。
 一緒におかれていた、お母さんへと書かれた手紙から、事のいきさつが分かった。「サンタさんおねがいします。キングサイズのモデルカーセットをください。ここのうちです」。何日か前、新聞受に挟んであった息子の手紙に目をとめた新聞配達の青年が、その一生懸命さに感動し、苦労して得たお金をはたいて幼い子供の願いをかなえてくれたのだ。
 貧しい暮らしをしていたわが家にとっては全く思いがけない、涙が出るほどうれしく、本当に心温まるクリスマスの贈り物であった。
 その夜、家内が専売所にお礼に出向き、店のご主人の話から、青年が遠く九州の出身で、働きながら教職の道を志す大学生であることを知った。
 青年の名は中村崇裕さん。郷里に帰りきっと立派な教育者になられたことだろう。



入選作  『力を合わせて新聞配達』
 中村 澄雄(52歳) 山梨県甲州市

 「おはようございます、新聞です」「ご苦労様!野球頑張ってるか?」「はい!」私達の地区の朝の始まりです。
 三十軒余りの組ですが、小学校の高学年から中学生の子供が、毎日交代で新聞配達をしています。昭和四十年代のころに中学生を中心に、夏休みにプールやキャンプ等のレジャーへ親のお金を当てにせずみんなで楽しめる目的をつくり、資金稼ぎのための子供クラブの活動として始めました。四十年たった今も途切れることなく子供たちの新聞配達は続いています。
 配達日は毎日が平穏ではありません。台風で暴風雨の朝、厳冬の朝、雪の積もった朝、眠い朝、大変なこと、嫌なこともあったけど、新聞を届けた時に、「ありがとう、ご苦労様!」と感謝されるその一言がうれしくて、何もかもつらいことを吹き飛ばしてくれました。
 長い年月を、力を合わせて絶やすことなく頑張っているこの新聞配達のことは私達の地区のみんなが誇れる話題です。
 これからも、いつまでも頑張って後輩にタスキをつないでいってほしいです。

入選作  『夢に向かって』
 三宅 美枝子(57歳) 福島県喜多方市

 三月末で退職したお母さんは、今満開のハナミズキの花を見て、おだやかで優しい気持ちでいる自分に気づかされています。あなたが不登校となった十二年前、突然新聞配達をしたいと言いだしましたね。朝弱いあなたは、起こされ、やっとの思いで新聞店へ。雨の日は私の車で一緒にということもたびたびでした。一緒に付いていられたから分かったことも。雨の日には、新聞をたたみナイロンに入れ、丁寧にシャッターの下から新聞を届ける姿に、涙があふれました。雪が降り自転車が動かなくなりSOS。お父さんが助けに行ってくれました。
 不登校となっていろいろなことがありましたが、家族が協力、力を合わせたことのひとつでした。「ご苦労さま、ありがとね!」の言葉がうれしいと話し、どんなにかこの言葉であなたは痛んだ心をいやされたことでしょう。
 やりたいことを、やらせてあげたい。今静かに、親子共に不登校時代の、切なくて苦しかったあのころを思い出しています。その後、あなたは高校を選び、三年間無遅刻無欠席で卒業し、今は東京で夢に向かって邁(まい)進中。あなたの人生で新聞配達は、大きなステップとなりました。夢の実現を喜多方で祈ります。

入選作  『優しさに感激』
 日高 勝芳(62歳) 宮崎県西都市

 ここ六か月、毎日午前五時五分に精密機械が動くように正確に新聞を届けてくれる青年がいる。早起きの私と毎日あいさつを交わす。
 女房と三泊四日の旅に出た。四日目の午後に帰宅すると郵便受けは、新聞と郵便で満杯の状態。三日分の新聞を取り出すと不思議なメモに目がとまる。旅行に出発した翌日の新聞の一ページの右側の空欄に、ボールペンで「大丈夫ですか?」。次の日の新聞には「具合が悪いのでは?」。旅行から帰る日の新聞には「心配です」。と走り書き。私たち夫婦の不在を心配してくれている。その瞬間、胸が熱くなり女房に「ちょっと来て、来て」と呼び寄せそのメモを二人で読み、心優しい青年なんだ!と感心することでした。翌朝、いつものように新聞を配達してくれた青年に「おはよう!旅行に行っていたんだよ。はいお土産!」と言うと青年は「よかった〜。ありがとうございます」と笑顔で私たちの心を受け取ってくれた。久しぶりに心の優しい青年を見て感激に浸ることでした。
 いつまでも優しい心と新聞を届けてください。

入選作  『新聞の向こう側にいる人』
  三田 あつ子(48歳) 広島市佐伯区

 今でこそ外で働いている私ですが、三人の子供が幼いころは専業主婦。子供と共にいながらも自分にできる仕事として始めたのが、早朝の折り込みと新聞配達でした。それが思いのほか性に合っており、以後七年間続けましたが、当時の思い出は鮮明に残っています。美しい日の出にいつも感動したこと、犬に追いかけられたこと、雪の日にはバイクにチェーンをつけて、それでも何度も転んだこと…。
 中でも忘れられないのは、十五年前の台風十九号の時。停電で店も真っ暗。何台ものバイクのライトをつけ、エンジン音の中で行った折り込み作業。強風にあおられながらの配達。夜が明けると、木々は倒れ、いろんな物が壊れている辺りの光景が現れて、そのつめあとに驚くばかりでした。電気はつかず、テレビもつかない。けれど新聞は、こうして人の力でこんな時でも皆の家に情報を届けられる。このマンパワーによる新聞配達の仕事を、私は改めてすごい! と思ったのです。そしてこの戸別配達のシステムも、苦労だけど魅力的だと…。
 私は今でもポストに朝刊が届いていると、その向こう側にいる人たちの顔やいろんなドラマを想像します。
 ありがとう、とつぶやいて、それから一日が始まるのです。

入選作  『校長先生からもらった「新聞配達許可証」』
 半田 幸子(58歳) 佐賀県小城市

 ぼろぼろになった「新聞配達許可証」はわが家の宝物である。
 小学校五年生の九月、突然足が動かなくなり不登校になった息子は家から一歩も出ることができず、無理に連れ出すと車のシートに身をかがめ外から見えないように隠れた。
 意を決して登校するが、体調を崩しまた行けなくなる、そんな繰り返しで中学生になった息子は校長先生に相談し「新聞配達」をすることになった。「学校に来ないで新聞配達をしてる!」と同級生にからかわれないように校長先生が特別に「新聞配達許可証」を作ってくれた。息子はいつもそれをお守りのように胸ポケットに入れて新聞配達を続けた。
 夕刊の配達が彼の仕事だった。雨の日も、風の日も、夏も、冬も…。学校には行けないが、新聞配達を三年間続けた。「いつもご苦労様!」「頑張ってるね!」と声をかけてもらったことは彼を励まし、自信をつけた。
 八年後、彼は大学に進学し、今は京都でロースクールに行っている。現在二十六歳になった息子の大切な新聞配達経験である。

入選作  『お父さん、元気で長生きしてください』
 大田 峰子(51歳) 埼玉県狭山市

 今年八十歳になる父は、北海道で現役の新聞配達員だ。
 私が高校生の時、サラリーマンから新聞配達員に転職した父を恥ずかしく思った。スーツ姿から安物ジャージを着て自転車にまたがる父を見ていると情けなくみすぼらしかったのだ。そして、無口で不器用な父が大嫌いだった。
 私が成人を迎えた時、父が子供のことを考えて転職したことが分かった。私達の幼きころ、両親は離婚していた。子供三人は父の手で育てられたのでした。お盆もお正月も家族一緒に過ごすこともなく、ただがむしゃらに朝の三時から起きて働き、大雪の中、大雨の中、台風の中を雨合羽(かっぱ)を着て新聞配達をしていた。
 ある時、父の知人から話が聞かされた。「父さんは、数十年間も営業成績トップを維持しているんだぞ! みんな父さんを追い越せないんだよ」。外見だけで判断していた私は、顔から火が出そうなくらい恥ずかしかった。
 数年前父は、心臓のバイパス手術を受けたが、長時間の手術に耐えた。自転車で鍛えた体力が功を奏したのかもしれない。お父さん、元気で長生きしてください。そして、日本一長寿の新聞配達員になってください。

入選作  『九十一歳の新聞配達』
 長島 廣一郎(59歳) 三重県松阪市

 ソメおばあちゃん九十一歳の一日は新聞配達で始まる。
 夜明け過ぎ、腰掛けの出来る手押し車で町内の各戸へ、あの坂が一番辛いと言いながら丁寧に新聞を配り続けて三十年、おかげでこのとおり元気ですと素晴らしいつやのある笑顔でおばあちゃんが語る。
 「連れ合いがなあ、新聞配達は雨の日も、風の日も休みがない、止めとけや」と言ったけど引き受けた以上文句は言えんし、今まで続いたのも新聞の神様が守ってくれたおかげと感謝しています、と事もなげに話してくれました。
 そして、今日は本居宣長講座へ、そして明日はゲートボールへと頭脳(ずのう)明晰(めいせき)、元気はつらつ、かくしゃくたる姿はただ感心するのみである。
 何事もなあ 続けることや…と今朝も朝もやの中へ手押し車で新聞配達に消えて行った。
 ご苦労様 ソメおばあちゃん。




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