第14回新聞配達に関するはがきエッセーコンテスト


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大学生・社会人部門


大学生・社会人部門

優秀作  『新聞配達員さんの涙』
 大澤 久美子(52歳) 栃木県矢坂市

 「おばちゃん、こんなに早く・・・、残念です」
 玄関を開けた彼の瞳からあふれる涙に、私はちょっとおどろいてしまいました。
 「だんだん食べられるようになったって言ってたのに、犬をかわいがって、草むしりが大好きなおばちゃんでしたね。寂しくなりました」
 父が亡くなってから家にひとりでいた母は、配達員さんが集金に来るたびに、いろいろおしゃべりしていたのだろう。実直でやさしそうな彼は、話し相手になってくれていたのではないだろうか。忙しいときも、きっと彼は聞いてくれていたのだろう。
 バイクで帰る彼を、私は、気を付けてと感謝の気持ちいっぱいで、見送りました。新聞を配達しているだけでなく、お年寄りに温かいやさしさも届けてくれている。なんて素晴らしいことだろう。
 母が亡くなって、もうすぐ一年。今も集金に来る彼の「あのときの涙」を、私は決して忘れることはないでしょう。



審査員特別賞  『通い合う互いの気持ち』
 燗c 聡子(38歳) 長野県安曇野市

 初めて新聞配達したのは高1の冬休み。順路帳片手にいちから教えてくれたのは、その地区をこれまで配ってきた母でした。
 「このお宅は新聞を横二つに折ってポストへ」「次のお宅は窓の格子に差し込んで。雨の日は戸袋に入れてあげてね」「この砂利道は静かに。犬がほえると迷惑だから」と帳面にはない、けれどもとても大切なことを、母は一つひとつ私に伝えてくれたのでした。見えない相手のことを思い、一部一部届ける姿勢に感心しました。
 やがて迎えたのが、配達泣かせの元旦号。二つ折りすらままならない新聞を小分けにして積み込み、まわりはじめて驚きました。ポストの下に箱を用意してくれているお宅の多いこと。「ご苦労さまです」とメモが添えられていることも。
 配達員の思いは、決して一方通行ではなかったのです。顔を合わせることはなくても、十分気持ちを伝えあうことのできる仕事なのだと、気付かされました。



入選作  『126平方センチメートルの親善大使』
 香月 千寿(55歳) 福岡市中央区

 ドアホンが鳴った。「Nシンプンテス。シュキン、ウカガイキマシタ!」
 私は「・・・・・・?」と思いながらも、「ハーイ! どうぞお入りください」と言い、急ぎ玄関へ行くと、まじめそうな青年が靴をきちんとそろえて、玄関マットの上で正座をしているではないか!?。一瞬、何が起きているのか分らずポカン顔の私に、彼は深く一礼をし、新聞代の請求書を見せてくれたのだ。「お入りください」と「お上がりください」を聞き間違えたその青年は、なんと、中国からの留学生だったのだ。朝・夕刊を三年間配達して、やっと集金を任された喜びを語ってくれた。
 祖国を遠く離れ、新聞配達をしながら勉学に励む彼の姿に、感動した私は、新聞受けにメモを張ってエールを送った。「大雪配達、感謝」「大雨、感冒注意!」。でたらめな中国語。でも翌日必ず「謝謝(シエシエ)」と書いたメモが入るのだ。私たちは窓口サイズ21p×6pの小さな新聞ポストで交流した、日中友好親善大使であったと信じている。

入選作  『新聞の重み』
 波多野 舞子(21歳) 東京都千代田区

 台風でも大雪でも、新聞は毎日届く。何でだろう。そんなふうに考えたことはなく、私が新聞を配る側になるとは思いもしなかった。
 新聞奨学生を知ったとき、大学に行ける!という喜びで迷うことなく新聞配達をすることに決めた。地元の東北を離れ、初めての東京。初めての寮生活。家族の反対に、大丈夫だと意地を張ったが、内心99%は不安が占めていた。
 新聞の重みを支えられず、倒れては新聞を拾い集め、足はあざだらけで、六百部以上の新聞を配る。
 台風の中、転倒して新聞をすべて水浸しにしたり、大雪でチェーンが外れ、専売所まで自転車を押して戻ったり、つらいことばかりだった。
 しかし、一年契約が終わり一番に思い返すのは深夜4時、人も車もない静かな大都会。月が沈み、太陽が昇る瞬間があまりにキレイで、思わず自転車を止めて眺めたことだ。この瞬間を見るとつらいことも吹っ飛んでしまう。
 新聞が届くのは、毎日配る人がいるから。多くの人の苦労や努力の元に成り立っていることは、体験して初めて理解できた。そのことに気付かせてくれた奨学生に感謝している。そして何より、夢の実現と可能性を与えてくれる経験だと思う。

入選作  『温かい気持ち』
 菅原 道子(55歳) 仙台市泉区

 まんじりともせず夜明けを迎えた。
 いつもなら隣りにいるはずの人がいない。どうしても夫の突然の死を、私は受け入れることができなかった。
 泣く暇さえ許されず、予習をしたわけでもないのに、次々と葬儀の準備を迫られ、ただただあやつり人形のように動いていた。
 無気力のまま、カーテンを開けた。そのときだった。オートバイから降りて新聞を入れるや、配達の方が両手を合わせてこちらに向い、深く頭を下げてくださっていたのだ。
 私は言葉もなく、涙が流れるのを止めることができなかった。一分を争う仕事なのに、その温かい気持ちがありがたかった。いっぽうで夫の死を認めざるを得なかったのであった。
 桜の花がゆっくりと散った。

入選作  『年寄りの青春』
  阿部 喜代治(67歳) 秋田県秋田市

 「ぴーぴー」と目覚ましが鳴る。一日の始まりだ。
 朝茶を口に含む。おいしい。「よし行くべ」と腰を上げる二人。風雨雪は気にならない。「雨の日は雨の日なりに、雪の日は雪の日なりに」の心境だ。
 無事配達を終える。朝ご飯がとてもうまい。幸せだなー。夕刊までの時間は気ままに家事をこなす。「さ、行くが」と妻が言う。
 退職後、マラソンに挑戦、毎日のトレーニングに、マンネリの虫が出始めてきたころ、一枚のチラシが舞い込んだ。「アルバイト求む。いい汗かきませんか」と。私は飛びついた。新聞少年に返った新鮮な気持ちで配達した。
 「新聞屋さーん」と呼ぶ声。地域の人に認められた瞬間だ。うれしかった。ある日、「私も配る」と妻が、あれから数年、今では新聞少年ならぬ新聞爺(じい)さんと婆(ばあ)さんだ。
 おかげで東京マラソン完走。妻の腰痛が治り、夫婦円満のおまけ付き。「新聞配達って楽しいなー」と言う妻に、「年寄りの青春だべ」と言って大笑いした。感謝。

入選作  『新聞で感じた幸せ』
 西川 由美子(57歳) 石川県鳳珠郡穴水町

 3月25日は私の誕生日でした。この日、突然起きた能登半島地震で、平穏な日常生活は断たれたのです。家は全壊し、大きく左に傾きました。
 スーパーにいた私は、サーフィンをしているようなコンクリートの床の揺れに倒れました。
 大急ぎで帰宅した私は、あぜんとしました。家は、ぐしゃっと大きくつぶれていたのです。幸いなことに母は無事でした。
 その後、長い長い避難所暮らしを経て、ようやく応急仮設住宅に入居しました。そして、まっ先にしたことは、新聞を配達してもらうことでした。翌朝、ことりと音がして朝刊が届きました。「ああ、日常が戻ったな」と本当にうれしかった。「新聞がこんなにありがたいものだったとは!」と改めて実感しました。
 毎日むさぼるように読み、毎朝、配達されるのを心待ちにしている私です。
 新聞よ、ありがとう。毎日読むことのできる幸せをかみしめています。

入選作  『手紙』
 尾普@寿美(54歳) 長崎県長崎市

 「ママ、チョコレート渡そうよ」中学1年だった娘の一言が始まりです。
 以前住んでいたカナダでは、「ボクシング・デー」という日がありました。クリスマスの翌日に、日ごろお世話になっている新聞や郵便を配達する人たちに、贈り物をして感謝の気持ちを表す習慣です。
 帰国した娘は、先生や級友だけでなく、新聞配達の人にもバレンタインデーに、チョコレートを贈ることを思い付いたようです。
 バレンタインデーの前夜、私と作ったチョコレートをメッセージと一緒に箱に入れ、郵便受けに置きました。翌朝のぞくと箱はなく、「ちゃんと受け取ってもらえたようね」と、娘と言葉を交わしました。
 次の朝、新聞とともに封筒が、郵便受けに入っていることに気付きました。開けてみると、「予期せぬ心のこもったプレゼントで、寒い日でもまたがんばろうという気持ちがわいてきます」という内容が書かれていました。
 新聞配達の方との年一回の交流は、娘が長崎を離れるまで続き、いただいた手紙は、今も私たちの大切な思い出の品となっています。

入選作  『力強く輝いている笑顔』
 宮本 里穂(21歳) 東京都新宿区

 私は一人暮らしで新聞を購読している。だが、集金に訪れる新聞配達員の顔は見たことがなかった。いつも扉のすき間からお金をそっとさしだしていた。
 ある日、集金に配達員が訪れたとき、私の手元にはお金がなかった。
 「すみません、明日もう一度来てもらってもいいですか」「明日は学校があるので夜でもいいですか」。私は耳を疑った。相手はてっきりおじさんだと思っていた。次の日、初めて私は扉を全部開けてみた。そこに立っていたのは、私と同じか一つ二つ年下の男の子だった。私の驚きを察知してか、彼が言った。
 「新聞奨学生と言って、ほとんど休みもなくて大変なんですけど、学費を援助してもらえるんです」「そういう制度があるの、初めて知りました」。彼は笑った。彼はギター弾きで、音楽の専門学校へ通うために一日の大半を費やしている。
 「頑張ることだけには自信があるんで」そう言ったとき、彼の笑顔はとても力強く輝いているように見えた。生きる、とはこういうことだと思った。
 それ以来、新聞とともに、私は毎日彼から生きる活力をもらっている。彼が新聞配達を始めてもうすぐ一年半、あと半年で彼も私も学校を卒業する。




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