Read Me. HOME お問い合わせ先 日本新聞協会
Read Me. Happy News

新聞がはこんだ HAPPY NEWS 2007 結果発表
HAPPY NEWS 大賞
★ 父の背追い消防士に 多久和 勲さん 69歳(兵庫県)
 阪神大震災のとき、私は兵庫県の警察官だった。出勤日の早朝、自宅で被災したのだが、めちゃめちゃになった家具などに埋もれながら、途方に暮れた妻と長女が、私が出て行くのを思いとどまらせようと、懸命に腕を引っ張ったのを覚えている。
 私は、社会に貢献したいという純粋な志を抱いて警察官になったけれど、直接「人助け」をする度合いのより大きい、消防士の仕事はあこがれの対象だった。被災した自宅から、引き留めようとする家族を振り切って出勤した神戸市の石川さん。当時5歳くらいだった息子さんは、そういう父親が、自分たちを放ったらかしにしていくように思え、親子間には確執が続いた。しかし、父親の職務の崇高さを理解できるようになった息子さんは、自分も消防士になることを決めた。危険性の大きい職業をあえて選んだ息子と、動機付けをしたことになる父親の、写真に見る素晴らしい笑顔。心の中に明るい灯のともる思いのした記事であった。

(毎日新聞 2008年1月17日付朝刊を読んで)
記事
記事を拡大


HAPPY NEWS 2007
★ 80点取ったらコロッケ2個 大矢 茂美さん 55歳(愛知県)
  記事
記事を拡大
 「今日もコロッケ、明日もコロッケ」という、私の世代なら皆知っている歌があった。小学生のころ、祖母にお使いを頼まれたときは(母が働いていて、食事当番は祖母だった)、必ずお肉屋さんに寄って、大好きなコロッケを買って帰ったことが懐かしく思い出された。その当時、安くておいしいコロッケは、庶民の台所の強い味方だった。まだ日本に「飽食」という言葉が存在しなかった昭和30年代のこと。
 そしてもし今、私が高校生で、この記事のコロッケおじさんの近所に住んでいたら…と想像する。きっと勉強を頑張って、テストで良い点数を取り、コロッケをたくさんゲットしたことだろう…もちろん、夕食のおかずにはせずに自分のおやつにして食べてしまうことだろう。近くの高校に通うみんなが本当にうらやましい! 「コロッケおじさま、これからもお元気で作り続けて高校生諸君を温かく見守ってください。よろしくお願いします」と心からのエールを送りたい。

(朝日新聞 2007年12月13日付夕刊を読んで)
 
★ 86歳 数学に夢中 金子 多貴子さん 56歳(長野県)
  記事
記事を拡大
 私は退職して、4月から大学の三年生に編入学しています。エッなんでその年して大学? お金をどぶに捨てるようなもんだ!! などと周りから言われる中、人間が育つということ、心が育つということとは、を学んでみたいと毎日通学しています。独学からは得られない刺激や情報をふんだんにもらえる喜びを感じて、そろそろ1年目が終わろうとするころ、「86歳 数学に夢中」の記事が目に入りました。「人間には、『なぜ?』『どうして?』に対する答えを欲し、それがひらめく(わかる)と快感を得る知性の仕組みがある」と授業の中で学びました。その「わかりたい」を86歳の国枝さんは中学生と共に楽しんでいます。青木中学校の温かいまなざしの中で。お会いしてみたいな、そんな事を考えながら、片道2時間余りの通学の中で、篠ノ井線沿いの四季折々の景色を満喫しつつ、駅員さんに学割定期券をそっと出しています。

(信濃毎日新聞 2007年12月23日付朝刊を読んで)
 
★ 子猫の命 救った 国持 英規さん 57歳(静岡県)
  記事
記事を拡大
 たった一匹の子猫を救出するために、消防隊員ら11人が出動した。もし別の場所で火災が起き、消火が遅れたら非難されるかもしれないのに。私は心優しい隊員の皆さんにHAPPYな気持ちにさせてもらいました。
 私は思い出しました。まだ息子が中学生のころ、冷たい雨の日に捨てられていた子猫を拾ってきたことです。子猫はずぶぬれで冷たく、ピクリとも動きませんでした。家族は「駄目だろうから、畑に埋めてあげよう」と言いました。しかし息子はあきらめず、タオルで体をふき、こたつの中で何回も心臓マッサージを行い、一晩かけて子猫を温め蘇生(そせい)を試みました。次の日の朝、「お父さん生き返ったよ」と言った息子の顔は輝いていました。私は、「この息子の父親で良かった」と誇りに思いました。
 私はこの新聞記事を読み、隊員の皆さんと世話をしてくれた方の優しさや息子を思い出し、HAPPYな気持ちにさせてもらいました。

(静岡新聞 2007年7月14日付朝刊を読んで)
 
★ 「転んでも…」 熊谷 正彦さん 62歳(東京都)
  記事
記事を拡大
 この顔この仕草、坊主頭でこっけいな容姿の写真に思わず口元が緩んだ。このひょうきんな顔に誘われ、記事を読み進めてぶったまげた。ひざ下がない! それも私と同じような病気で失ったと知って、なおさら驚いた。
 私自身、この春体調を崩して突然入院の身となったのである。退院後も今までの生活習慣を改めてはいるものの、病気の悩みは限りなく、クヨクヨしながら今日まで生きてきた。
 でも、この記事を読んでから自分の気持ちを切り替えることにした。
 三遊亭歌雀さん、一、二度聞いた覚えがある落語家さんだが、これからは、大の大の大ファンになりたい。前向きで転んでもただでは起きないというこの根性を…。私も見習って目標としたい。そして同類者として、思いっきり声援を送りたい。今、病で苦しんでいる人にとって、どんなにか心の支えとなるだろう。
 ガンバレ、病気に屈しない歌雀さん。

(読売新聞 2007年8月21日付夕刊を読んで)

※本記事に登場する三遊亭歌雀さんは、2008年3月6日、逝去されました。
 
★ 「神様が天使をくれた」 高柳 照子さん 42歳(石川県)
  記事
記事を拡大
 8月中旬に「名古屋から遊びに来ていた小学生の姉妹が、祖母と海岸清掃」の記事を読んで、心がジーンとなり忘れられなかった。早朝から猛暑の日もあったけど、彼女たちはコツコツ連日ごみ拾いを欠かさなかったんだろうな。
 夏休みが終わり、「二人とも元気で名古屋に帰ったかな」と思っていた矢先に、「頑張った1カ月の ご褒美」の記事が掲載された。
 誰かが天使の絵をプレゼントしていたこと。それに対してお礼のメッセージを掲げていたこと。手伝った人、差し入れした人。金沢市長からの手紙のことも…。
 最近は自分さえよければいいという風潮が多い中、すてきな輪が広がっていたことを知り、思わず涙があふれた。遅ればせながら私もその輪に加わり、二人の心をリレーしていけたらと思う。
 ありがとう! さらちゃん、みこちゃん! 二人にたくさんの幸せが訪れますように!!

(北陸中日新聞 2007年9月3日付夕刊を読んで)
 
★ 「あーちゃん号」を全国に 中澤 耕二さん 52歳(福島県)
  記事
記事を拡大
 高校生の彼女は、一生懸命に部活や勉強にと励んでいる傍ら、車いすを施設に寄贈するためひそかにプルタブを集めていた。そんな素晴らしい意志を持った高校生の彼女を、若くして命を絶えさせてしまうこの世の理不尽さに激しい憤りを覚え、新聞記事を目にしたときは悲しさで胸が締めつけられた。
 しかし、わが子が亡くなったことにより、彼女の素晴らしい意志があったことを知り得た両親は、その遺志を引き継いだ。彼女の両親はさらにプルタブを集め、そのプルタブから姿を変えた車いすを障害者施設へ寄贈した。その車いすの愛称は、娘の名前から「あーちゃん号」と名づけられた。
 うれしくて涙があふれ出た。私もプルタブを集め始めた。それなりの量になったら届けようと思う。わが子の遺志を引き継いだ素晴らしい彼女の両親の元へ。次は「あーちゃん」何号になるのだろうか。楽しみだ。

(いわき民報 2007年7月5日付夕刊を読んで)
 
★ 「犬と一緒」で不登校ゼロ 中前 結花さん 20歳(兵庫県)
  記事
記事を拡大
 意外なことで、小さな心は開かれるのだなと感じ、ほほ笑ましく思えた。一匹の犬の存在が子どもを救った。受け入れられることは、支えになるのだ。ふと懐かしいことを思い出した。
 あれは、小学校の卒業式。いよいよ最後という下駄箱の前で、私は、その子に肩をたたかれた。休みがちな女の子で、クラスにもなじめずにいたように思う。しかし、最終学期には休むことも少なくなっていた。その子が、涙ながらに「今日までありがとう」と言ってきたのだ。きょとんとする私に、彼女は「一番優しくしてくれたから」と続けた。そして、「だから三学期は頑張ったのだ」とも言った。私は、なぜだか涙が止まらなかった。
 学校に行きたくとも、それができない。苦しんでいる子どもは多いだろう。このような新しい試み、大人たち、そして友人たちの手によって、一人でも多くの子どもが救われれば、と思う。あの子は元気にしているだろうか? 心が少し、温かくなるのがわかった。

(読売新聞 2008年2月7日付朝刊を読んで)
 
★ 高さ260メートル 化粧直し中 山崎 春一さん 74歳(北海道)
  記事
記事を拡大
 妻と一緒になりたくて、持っていた免許を生かして、家業の漁師から公立学校の英語教師に転職したのが1959年1月のこと。翌60年の春休みに、1年遅れの新婚旅行を兼ねて、私のボーナスをもとに二人で東京に旅行し、あこがれの東京タワーに昇った。富士山を眺め、体重計に乗ってお互いの体重が書かれた小さいカードを手に笑い合い、幸福だった。サラリーが1万円のころである。妻はステキだった。
 今、妻は脳出血で倒れた後遺症で、すでに何もわからないが、私は新聞記事と写真を見せ、私が書いたこの文章を読んで聞かせて、つかの間の甘くてからいしあわせを感じた、とても。
 いつの日にか、私がひとりになったら、妻の写真を胸に二人で二度目の東京タワーに昇り、結婚50年記念は東京タワーへ行こうと決めた二人の約束を果たし、何十年前の若かった日の私たちを思い出して、ふたたびしあわせに涙を流すことだろう。妻恋しさの切ない気持ちをかみしめながら、きっと。

(北海道新聞 2007年5月19日付夕刊を読んで)
 
★ ブラジル人が水難救助 渡辺 真さん 47歳(静岡県)
  記事
記事を拡大
 私は勤務医。多くのブラジル人は日本の病院で受診する際、通訳を必要とします。日本の医師はポルトガル語が話せないからです。彼らは自分の症状を直接言葉で伝えられないもどかしさや不安を感じていると思います。来日7か月という植田さんも、慣れない日本の生活で苦労をされてきたと思います。夏の日の興津川の清流。突然の水の事故。この記事に接したわが家の反応です。息子は「ブラジル人だからこそ、こんな勇敢なことができたと思う」。娘は「植田さんのはにかんだ表情がいいね」。妻は「植田さん、これから日本で自信もってお仕事できそうね」。皆が笑顔でした。
 私は、ブラジル人の2人が、水中でとっさの母国語で励まし合いながら日本人を助ける姿を想像しました。私はこれから少しずつポルトガル語を勉強し、日常の診療に役立てたいと思います。植田さん、黒木さんには今の私から心を込めて一言「オブリガード」と伝えたいです。

(静岡新聞 2007年9月1日付朝刊を読んで)


※入選者の年齢・居住地域は2008年4月3日現在のものです。
 
Copyright